
【日本三名園 偕楽園 】徳川斉昭公が「衆と偕(とも)に楽しむ場」として開設
金沢の兼六園・岡山の後楽園とともに日本三名園のひとつに数えられる『偕楽園』
江戸時代天保13年(1842年)7月、水戸藩第9代藩主徳川斉昭公により、領民の休養の場所として開園されました。
表門から入ると孟宗竹林が広がり、そこを下っていくと弛まなく水が湧き出る吐玉泉、そして徳川斉昭公が自ら設計を手がけた好文亭と見所満載です。
江戸時代天保13年(1842年)7月、水戸藩第9代藩主徳川斉昭公により、領民の休養の場所として開園されました。
表門から入ると孟宗竹林が広がり、そこを下っていくと弛まなく水が湧き出る吐玉泉、そして徳川斉昭公が自ら設計を手がけた好文亭と見所満載です。
偕楽園には約100品種3,000本の梅が植えられ、かぐわしい早春を告げてくれます。2月下旬から3月中旬にかけての「梅まつり」を皮切りに、桜、つつじ、秋には萩、初冬には二季咲桜と、園内に花々が季節を届けてくれます。
・好文亭
園内の中程に位置する好文亭は、木造2層3階建ての好文亭本体と木造平屋建ての奥御殿から成り、なんと徳川斉昭公が自ら設計したものといわれています。ここに文人墨客や家臣、領内の人々を集め、詩歌や慰安会を催されたそうです。
天保13年(1842年)に創建されましたが、昭和20年の空襲で焼失してしまい、昭和33年に再建されました。
襖絵は、好文亭再建の際には、東京藝術大学の教官であった須田珙中(きょうちゅう)と田中青坪(せいひょう)の二人によって、各部屋の名称にちなんだ植物が描かれました。「紅葉の間」「梅の間」「萩の間」は昭和33年に、その後昭和43年に、「竹の間」「松の間」「桃の間」「桜の間」の襖絵が完成しました。偕楽園「好文亭」の襖絵は、経年劣化等の影響により損傷がみられたため、東京藝術大学保存修復日本画研究室監修のもと修復が行われ、令和元年度に94面全ての修復が完了しました。
園内を散策して楽しむ「陰」と「陽」の世界
偕楽園は、「陰」と「陽」の世界観を意識して作られているとも言われています。
陽が降り注ぎ、早春にはかぐわしい梅の花が咲き誇る「陽」の世界と、
幽玄の世界のように、しっとりした静けさが心地良い「陰」の世界。
そのコントラストを楽しむのも、偕楽園ならではの魅力のひとつです。
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♪懐かしい風情ー甘茶の音楽工房
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