しかし 「やさしい日本語」に適用という動きはまだない

現在は、各自治体などが「やさしい日本語」を用いてパンフレットや通知文を作成していたり、NHKが「やさしい日本語」で書いたニュースサイト”NHK News Web Easy”を公開していたりと、「やさしい日本語」が広く活用され、この記事で取り上げたようなメリットも認識されてきています。

より多くの人が理解できる「やさしい日本語」を郵便局から広げていく。静岡県は、子どもや高齢者、外国人や障がい者にも分かりやすい言葉遣いを普及させるため、全国で初めて郵便局と連携する。郵便局の利用者への配慮と同時に、「やさしい日本語」を広く知ってもらう狙いがある。

「やさしい日本語」は、母語話者が使っている日本語よりも簡単で、外国人にもわかりやすい日本語のことで、震災をきっかけに生まれました。1995年の阪神・淡路大震災では、日本人だけでなく日本にいた多くの外国人も被害を受けました。その中には、日本語も英語も十分に理解できず必要な情報を受け取ることができない人もいました。そこで、そうした人達が災害発生時に適切な行動をとれるように考え出されたのが、「やさしい日本語」の始まりで、弘前大学社会言語学研究室から提案されました。

*とんだばやし国際交流室『「やさしい日本語」用語集』2006年
「ていでん(停電)する」を「でんきが とまる」に書き換えしているが、この意味の「停まる」は、『広辞苑』では「❶事物の動き・続きがやむ」の下位分類「⑦通じなくなる。脱線事故で電車が停まる。工事で水道が停まる」とあるが、「電車が停まる」(停車)や「時計が止まる」は「❶事物の動き・続きがやむ」の下位分類「①動かなくなる」の下に入れている。『明鏡国語辞典』では「④規則的・連続的に流れ動いていたものの動きがやむ。大地震で電気が停まる」で、かなり派生的な意味である。『ジ-ニアス和英辞典』によると、交通は “All the transportation services were stopped because of the typhoon.”で ‘stop’ を使うが、電気も水道も ‘be cut off’、電車は「ストで電車が停まった」は “The strike brought train services to a halt.” となる。日本語能力試験の出題基準ではN2~3は「①動かなくなる」で、「停電」の「停まる」は「⑦通じなくなる。」で「リーディングチュウ太」では「停電」は級外である。

*とんだばやし国際交流室『「やさしい日本語」用語集』2006年
「でんとう(電灯)」を「でんき」と書き換えているので、「かいちゅうでんとう(懐中電灯)」を「でんちで つく でんき」と言い換えている。しかし、「電池」の言い換えはない。日本語では「電灯がついている」を ‘metonymy’ (換喩)や ‘synecdoche’ (提喩)で「電気がついている」と言うが、英語では、「電灯」は ‘light’ 、「電気」は ‘electricity’ と使い分けている。中国語でも区別している。換喩や提喩は全ての言語で同一というわけでなく、外国人には理解が困難な場合がある。

2020年に実施した県の調査によると、やさしい日本語を知らない人の割合は45%、詳しくは知らないと回答した人は25%だった。「使っている」の11%、「理解している」の17%を大きく上回っている。

一方で、やさしい日本語には以下のようなデメリットも存在します。

「やさしい日本語」は在留外国人にとって「やさしい」のか?

「やさしい日本語」に多義語に対する考慮が無いのは、多義語に対する研究が遅れているためというのが分かった。まず、古くは私が大学院生の頃、40年ほど前に意味論研究として類義語の分析が始まった。日本語教育の場で、日本人は使用する際に間違えることのない類義語の区別を外国人学習者は間違えるということが分かり、言語学や日本語学の研究対象として、国広哲弥氏や柴田武氏や森田良行氏など多くの研究者によって類義語の研究が始まり、研究成果として数冊の類義語辞典が出版された。さらに、認知言語学の立場からメタファー、シネクドキ、メトノミーなどの視点を導入して多義語の発展について研究が始まったのが20年ほど前で、それが日本語教育に適用され始めたのが2013年の国立国語研究所の基礎語彙の研究である(cf. プラシャント・パルデシ(編)「日本語学習者用基本動詞用法ハンドブックの作成」国立国語研究所共同研究報告 12-07)。外国人日本語学習者の誤用を分析して、コロケーション、動作主や手段などの制限を考慮に入れ分析を始めた。しかし、「やさしい日本語」に適用という動きはまだない。政府は外国人留学生および労働者の日本語能力を判断する必要性があり、その要求に応じて1984年に日本語能力試験が創始されたが、多義語についての研究が進んでいないのに拙速に日本語能力試験の出題基準の語彙が導入されたと思われる。連載の中で今後の多義語の扱いについて考えていきたい。

こうした課題を解決するため、県は日本郵便株式会社東海支社と連携し、郵便局の窓口で「やさしい日本語」の活用に取り組む。対象となるのは、東海エリアの静岡県、愛知県、岐阜県、三重県の郵便局で、まずは窓口担当者が接客に活用できる「やさしい日本語」の研修を受ける。

*愛知県地域振興部国際課多文化共生推進室『「やさしい日本語」の手引き』2013年
「未加入」を「まだ入っていません」、「(自治会)加入」を「入ります」に書き換えている。『明鏡国語辞典』ではこの「入る」は「⑪ある制度のもとに一員として加わる。加入する」とあり、かなり派生的な意味。『ジーニアス和英辞典』では、「②加わる。 (団体に) ‘join’・(学校・団体に) ‘enter’・(登録して入会する) ‘enroll’ 」で使い分けており、英語母語話者には難しいと思われる。

『在留支援のためのやさしい日本語ガイドライン』から引用します。

やさしい日本語には正解がない、とよく言われます。テクニックや正しさにとらわれず、ぜひ、近くの外国人に笑顔で話しかけてみてください。

「やさしい日本語」のルールとしては、①重要度が高い情報だけに絞り込む、②あいまいな表現は避ける、③難解な語彙を言い換える、④地震語彙には「やさしい日本語」を添える、⑤複雑でわかりにくい表現は、文の構造を簡単にする、⑥(書き言葉の場合は)漢字にふりがなをふる等があげられます。

*気象庁・内閣府・観光庁『緊急地震速報・津波警報の多言語辞書』2015年
「揺れがおさまる」を「地震が止まる」という「やさしい日本語」に書き換えしている(p.28)。「おさまる」は難しい動詞だが、日本人は「地震が止まる」とは言わないと思う。『現代書き言葉コーパス』で「揺れがおさまる」は24件見つかるが、「地震が止まる」は1件のみで、それも「その後、地下の水圧が高まったためにいったん中止すると、地震はほとんど止まり、また再開して注入圧を高めると、それに応じて微小地震の回数が増加」のように、実験で地震を起こしている場合にしか使われていない。やさしい動詞に換えてもコロケーションの問題があり、外国人だけでなく日本人が聞いて分かるかという問題に波及する。

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